「踊り続けるんだ」学生の僕は言った
ロンドンに移住して3ヶ月が過ぎた。長かった語学スクール(Presessional Academic English Programme、大学院の入学のために必要な英語の成績が基準点に達していない学生が参加する)も8月でようやく卒業し、9月末には大学院のマスター(修士)コースに進学する。語学スクールでは学生たちが常に「フェイクニュース」に乗って踊って取り乱していた。今回はそんな学生生活について書いてみたいと思う。
卒業をかけたフェイクニュース合戦
「アキー(僕の呼び名)、今日のテストはこんなのらしいよ」
空調のないロンドンの、蒸し暑い夏日のことだ、クラスメイトの女の子が得意げにスマートフォンを見せながら僕に話しかけてきた。その日はスピーキング能力を測るためのディスカッションのテストがあり、彼女は僕と同じディスカッションのグループだった。彼女のスマートフォンには一枚の紙が映し出されており、そこにはいかにもテストに出そうな議題が印刷されていた。「これで練習すれば完璧だよ」と、彼女と僕が所属するグループは大盛りあがりだった。なんでもその紙は午前中のクラスで実施されたテスト(僕たちのクラスは午後のクラスだ)の問題用紙らしく、つまりはテストの“海賊版”だった。
「どうせフェイクニュースだろこれ」
“ひゅっ”という音が聞こえそうなほどに僕のコメントは鮮やかな空振りに終わった。すでにみなは海賊版のテスト問題をつかった直前の練習に夢中なのだ。
語学スクールの学生はほとんどがアジアの学生であり、みな中国産のメッセンジャーアプリ『WeChat』をつかって四六時中、情報交換をしていた。とにかく分からないことや試験に関する有益な情報、恋愛のいざこざから、教師とのトラブルまでの「学生よろずごと」がすべて共有され、誰もが「安い食事、いつもいっしょに居てくれる友達、そしてWeChat」を留学生の「三種の神器」と信じて疑わない状況だった。
WeChatの影響力はすさまじく、教師が口頭で話したテストの概要などの最新情報をクラス全員が光の速さで共有し、ブラックホール並の重力で彼ら彼女ら、そして僕を吸い込んだ。それゆえに問題になっていたのがフェイクニュースだった。誰かが意図的に作り出しているとしか思えないほどに、偽の情報が常にスクールに溢れかえっており、異国の地で何を信じていいか分からない留学生たちがただ取り乱しているという、デジタル社会の縮図さながらの光景がそこにはあった。
僕はそのスピーキングテストの海賊版を見て、村上春樹の「やれやれ」って英語でどう言うんだろうなと思った。まずどう見ても絵面が怪しいのだ。学生寮かどこかのベッドの上で撮影されたように見えるその写真は薄暗く、歪んでいた。さらにどこの誰が入手したものかも分からない。それでもグループの学生たちはその海賊版を信じ込み、直前の練習に励み「なんでアキはやらないの?」と、「君は革命に参加しないのか?」さながらの自信で首を傾げた。
「みんな聞いてくれ、これがもしフェイクニュースだった場合に弱みになる」と僕はグループに告げた。「そしてたぶんフェイクニュースだろう。昔から、こうしたときに嘘くさい話を真に受けると大抵ろくなことにならないんだ。昔話とか、戦での罠の逸話もみんなそういうふうにできてるだろ? こんなものには頼らずに一般的な練習をすべきだ」と、僕は“遺伝子組み換えではない”優等生のような発言をした。しかし彼ら彼女らはまったく耳を貸さず、「フェイクニュース(笑)」「アキは一体何を言ってるんだ」「わたしたちのWeChatに流れてきたんだよ?」ということになり、僕もしぶしぶその海賊版で練習を重ねることになった。